2011年3月21日月曜日

「旅人」と「『大発見』の思考法」と「科学者とあたま」

「旅人」と「『大発見』の思考法」

湯川秀樹博士の回想である「旅人」と、iPS細胞の山中教授とCP対象性の破れの益川教授の対談「『大発見』の思考法」を読んだ。時期的に連続して、科学者の回想と科学者同士の対談を読んだことになるのだが、こういう本はまとめて読むと科学者の人となりや思考法が比較できておもしろい。科学者というと、真理の求道者というイメージはあるわけだが、ノーベル賞でも取らない限りその人となりが世間に対して明らかになることは少ない。湯川博士の回想録は、博士が中間子の存在を予言してノーベル賞を受賞しなければ出版されることはなかっただろうし、山中博士と益川博士の対談の方は、おそらく益川博士が小林博士と共にノーベル賞を受賞しなければ、実現しなかっただろう。かと言って、業界では非常に有名だが世間にはあまり知られていない科学者の回想録を出したところで、広く読まれることは少ないだろう。個人的には、日頃から雑誌のそういう記事も熟読してしまうし、そういう本が出たらすごく興味があるのだが。。(ファインマンシリーズも読んだ。ファインマン博士もノーベル賞を受賞しているわけですが。。)

「旅人」で印象に残ったのは、「ノーベル賞を受賞してしまったために雑用が増えて困った」というところ。文中に描かかれる博士の性格から推察して、公の場ではっきりとそのように言ったことはないのでは、と思うのだが、回想となると、そこは明言してある。近頃は科学者もアウトリーチ活動をするべき、という雰囲気になりつつあるように思うが、科学者が研究して成果を出すのが本文であるという意見もある(と思う)。どちらかと言えば自分は研究者には研究に専念してもらうほうがいいような気がする。しかし、まったくアウトリーチがなくなると、今回のように私のような一般人が博士の回想を読む機会もたぶんなかったわけで、それはそれで困る。難しい。

一方、対談の方だが、研究の中身にはそれほど突っ込んでおらず、どういうアプローチで研究をしたか、とか、科学者として大成するタイプについて、など、学生だけど研究者を目指している、あるいは、駆け出しの研究者というような人が読むと小一時間(あるいはもっと)考えてしまいそうな内容が満載である。大胆に言ってしまうと、研究者として独り立ちしてやっていける人は、「情熱があって、アイデアを温めておける人」ということになるのだろうか。なんだか研究者じゃなくても成功しそうな気もする。小賢しい人は要領良くそれなりの成果を出してホイホイ出世するのだが、助教くらいから伸び悩む、というようなこともあったのだが、気をつけたい。ここまで書いてきて、ふと思い出したのが、寺田寅彦の以下のエッセイ。

  • 科学者とあたま
  • 苦しいとき、なかなか思うように成果が出ないときは、これを思い出したい。

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